中村哲さんを忍びながら、今思うこと
2019年アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師をご存じの方も多いと思います。
アフガンの砂漠地帯に用水路を作り65万人を救うという偉業を成し遂げた人。
そんな人がなぜ凶弾に?腹立たしく悔しくどうしようもない怒りがこみ上げてきます。
中村医師は、医療組織ペシャワール会の現地代表として、パキスタンやアフガニスタンで医療活動を行っていました。
しかし、中村さんは医師でありながら、戦乱や大干ばつで病苦や飢餓に苦しむアフガンの人々を救うためには、『百の診療所より1本の用水路を』と、用水路建設を手がけました。
アフガニスタン東部のクナール川に、取水口にする堰を設け、ガンベリ砂漠まで全長25kmもの用水路を完成させました。水を得た砂漠地帯はやがて、米、麦、野菜そして果物さえも実らせる緑の大地に変わったのです。人々に喜び、健康と平和をもたらせたことは言うまでもありません。
その時の堰の参考にしたのが、私の住む福岡県朝倉市の『山田堰』です。
▲山田堰のそばには中村哲医師の肖像画と言葉が刻まれた記念碑も建てられている
『山田堰』は、江戸時代に干ばつに苦しむ農民を救うために100年以上もかけて築造された日本で唯一の傾斜堰床式石張堰です。何度か改修工事はありましたが、ほぼ原形をとどめたまま今も652haに及ぶ農地に、筑後川の水を堀川(用水路)を通して送り続けています。
私は今井戸水で生活しています。水がない!という状況をあまり知らず、水があるのが当たり前で、水のありがたさなど考えることもなく生きてきました。
米も野菜もお肉も、何でもお店に行けば手に入ります。みんな水あっての食料なのですが。
私たちも、200年前の先人の知恵と努力によって命をつないでいるのです。アフガンの人々が中村さんに救われたように。
では、今を生きる私たちにできること、それは何でしょう?
やはり温暖化対策ですね。水があれば豪雨被害、なければ猛暑、熱波、山火事、干ばつと大変な状況になっています。
先人に感謝しつつ、感謝に見合う努力をしなければ、自分自身さえ救えないでしょう。